何故、常に病気にかかってから、治癒となるのでしょうか?
2010-03-23何故、常に病気にかかってから、治癒となるのでしょうか?これは人類に共通する特性です。持っているときは大切にしませんが、無くした時、初めてその大切さがわかります。人類のこの特性は恐らく史前から開始されています。さらに、すでにそのパスワードが我々の遺伝子の中に組み込まれているのです。自身の健康に対してだけでなく、我々人類は歴史に対して(日本人の第二次世界大戦への反省態度を見ればわかります)、また友情、感情、自由、信用などに対しても、同じです。多くの人々が一時的な楽しみのために、苦痛の一生を送ります。これは実際、我々人類の非理性的な思惟を具体的に表現しています。人類文明の発展を妨げる最大の障壁は、実は悲惨な教訓からもたらされた智慧が人々が亡くなることで喪失されていることです。これは我々人類の最大の損失です。そうです、これらの智慧を有している人々がこの世を去る前に、文字という形で後代に残しているものの、我々後代はこれらを見た時、これらの背景にある切実な経歴を体得することができず、このため自らのものにはすることは困難となっています。これは自転車を乗るための学習のようなもので、どのように自転車に乗るかについての本を読み、何度も読みこなし、すべて暗記しても、初めて本当に自転車に乗る際にはこれでは転倒してしまいます。 多くの知識は、自らの身で体験したものが基礎となる必要があります。
健康管理に対しても、状況は同じです。他人の痛ましい教訓も、真の自らの経験になることはできません。また、最速で正しい選択を出す主力パワーとなることはできません。より多くの人々がメディアやその他ルートにより認識していることは好ましいことですが、実際、これらの疾病が爆発後、治療を行うことは、平常時に健康管理を強化し、できるだけ疾病にかかる確率を減らすことに勝ることはできません。
中国にはこのような古い言葉があります。「病來如山倒、病去如抽絲」。この言葉の意味は、平常時、用心せず、自己の体質がよいからといって過度に仕事をしたり遊んだりして、疾病予防に注意を払わなった場合、疾病は最も思いがけないときに突然襲来し、命を奪わないとしても元気が損なわれる、ということです。また病気の治療は容易なことではなく、その過程は非常にゆっくりとしたものであり、生涯にわたって後遺症を残すこともあります(例えば、C型肝炎など)。
これは市政の建設と全く同じです。破壊は非常に容易であり、数秒で爆発させればいいものの、建設には数十年、あるいはそれ以上の月日が必要とされます。
病気予防のコストは病気治療のコストより大幅に低くなっています。大病の治療には数十万が必要とされ、時には大切な命をも失います。しかし平時に疾病予防に注意を払えば、毎日いくらかのお金で済み、さらにそれは一定期間のみのことであり、少しの忍耐と少しの「割愛」で済むのです。
予防は治療に勝る
ここで我々は特に皆様に喚起したいと思います。知識はすなわちパワーです。平時、遺伝子に、健康知識に、遺伝子と健康の関係に関心をもつことは、無知のために発生する不幸な局面を回避させる手助けとなります。病気になってから病院に治療に通う必要ありません。知識で自己を武装してこそ、本当に「患う」ことが未然に防げるのです。
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